【コラム】vol.5 増本浩子先生より✏デュレンマットの喜劇

デュレンマット研究の第一人者・増本浩子先生より、本作の作家 フリードリヒ・デュレンマットの解説をいただきました。是非ご一読ください!


デュレンマットの喜劇(神戸大学教授 増本浩子)


 フリードリヒ・デュレンマット (1921-1990) はスイス・ベルン州の田舎町に生まれた。父親は牧師で、古典ギリシア語、ラテン語、ヘブライ語に通じた学者でもあった。デュレンマットにとって父親はいわば「神の代理人」であり、物心つくころには父親と父親の宗教に対して反発しか感じなくなる。父親の期待に反して劣等生だったデュレンマットが、大学入学資格試験になんとか合格したのは20歳のときだった。徴兵検査にも合格し(スイスは国民皆兵を国是としている)、21歳で初年兵学校に入るが、スポーツが極端に苦手で、ヘルメットをうまく脱ぐことさえできないほど不器用だったらしい。そのうえ花粉症による目の炎症で射撃の標的がよく見えなかったので、訓練は苦痛以外の何ものでもなかった。まもなくデュレンマットは、自分が強度の近視であることをアピールしようと思いつき、兵舎にやってきた郵便配達人を将校に取り違えたふりをした。それが功を奏して、わずか3週間で軍務を解かれることになった。軍隊がナショナル・アイデンティティと深く関わっているスイスにおいて 、第二次世界大戦期という肝心な時期に兵士になれなかったデュレンマットは、スイス国民としても落ちこぼれだったということになる。

大学では神学を専攻してほしいという父親の望みを当然ながら拒否して、ドイツ文学と哲学を専攻した。キルケゴールに関する博士論文の執筆を企てる一方で、文学創作も始めたデュレンマットの処女作は、1942年に書かれた『クリスマス』という、わずか14行からなる短編である。ふだんベルン方言を使っていたデュレンマットにとって外国語に等しい標準ドイツ語では長い文章が書けなかったから、と晩年になって自嘲気味に回想している。ちなみに、デュレンマットは有名になってからも、書評に「正誤表」が添付されることがよくあった。彼のスイス訛りをドイツの批評家が笑いものにしていたのだ。

『クリスマス』でデュレンマットは神の死を宣告し、死んだ神にかかずらうことなく先に進もうとする。また、翌43年には『拷問吏』という短編を書いたが、この作品では世界という拷問部屋で神が拷問吏として人間を苦しめる。デュレンマットは、残酷な戦争が繰り広げられているこの世界に神が存在するとはとうてい信じることができず、それでももし神が存在するのなら、世界大戦を許容している神はサディストに違いないと考えたのだった。

デュレンマットによると、アウシュヴィッツとヒロシマ以後の世界に生きる現代人を脅かしているのは、「もはや神でも正義でもなく、交響曲第5番のような運命でもなくて、交通事故や設計ミスによるダムの決壊、注意散漫な実験助手が引き起こした原爆工場の爆発、調整を誤った人工孵化器」である。因果関係はもはや成り立たず、偶然に翻弄されるこの「故障の世界」において、従来どおりの文学(悲劇)を創作することはもはや不可能であると主張して、デュレンマットは自作のほとんどすべてを「喜劇」と名付けた。

ただし、彼の喜劇は通常の意味での喜劇とは異なり、正確には「悲劇ではないもの」である。観客は最初のうちはおなじみの悲劇だと思いながら見ているが、突然そうではないものとして体験される転換点が訪れ(デュレンマットはこれを「起こりうる最悪の方向転換」と呼ぶ)、主人公は古典的な英雄になり損ねる。このようなやり方で、勧善懲悪の図式にのっとった悲劇はもう時代遅れだと観客に認識させる仕掛けになっているのだ。デュレンマットの戯曲には笑いの要素もふんだんに盛り込まれているが、だから喜劇なのだと思ってしまうと作品の狙いがよくわからなくなるので注意しよう。デュレンマットのグロテスクな笑いには、崇高な悲劇を喜劇へと格下げする機能がある。

『物理学者たち』の場合、はっきりと念頭に置かれている戯曲がふたつある。ひとつはアリストテレスが絶賛したギリシア悲劇の傑作『オイディプス王』である。オイディプスと同様に天才科学者メービウスも、計画的に行動してある目標に到達しようとするが、偶然によって目標とはまったく正反対の結果を引き起こしてしまう。もうひとつは非アリストテレス的演劇を提唱したブレヒトの『ガリレイの生涯』(1943) で、ガリレイが地動説を撤回したように、メービウスも自説を撤回するべく、精神病棟に逃げ込む。ガリレイの場合、その一見非英雄的な行為によって研究を続けることが可能になり、その後の科学の発展に寄与することができたのだが、さて、メービウスの場合はどうだろうか。

ワタナベエンターテインメント Diverse Theater『物理学者たち』

2021年9月・本多劇場にて上演。